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  • 2018.04.10 Tuesday

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    裁量労働制について話したい...

    • 2018.02.23 Friday
    • 01:01

     オリンピックだけでなく、今日は国会中継も見ていた。国会中継の中で、裁量労働制の議論が出ていた。

     正直この問題について私は詳しくない。簡単にしか理解できていない。まあ、簡潔に説明するなら、労働時間じゃなくて仕事の質的なもので労働しようぜっていうボワッとした明確でない感覚くらいしかないのである。

     裁量労働制に関する国会議論では、この制度を採用することにより実質的には残業が増えることや出世したくない人間が出世しなくてはいけなくなるだとか、能力のない人間が活躍できなくなる、などの意見が出されていた。

     さて、実質の残業時間が増える可能性があるという点ではこれは由々しき事態である。現段階でもサービス残業などにより賃金の発生しない労働が消えていない。それを、労働時間で区切らずに仕事をさせるとあれば、余計働き過ぎてしまう人が出るのは目に見えてわかる。そういった面では日本の労働環境的にそぐわない、というか日本の労働者を余計苦しませてしまう制度になりかねないということが言える。

     上で書いたことはまあごくごく一般的に言われ続けていることなので、誰でも感じ取れることだろう。今日私が引っかかったところはこれと違うところである。

     能力のない人間が活躍できなくなるという議論があった。これに対して私は当たり前だろとしか思わなかった。たしかに社会福祉という面では、どんな労働者でも平等に活躍できるという社会がふさわしいことは言うまでもない。だが、能力のない人間が活躍できないという議論は逆を言えば能力のある人間を評価しないという様に取れてしまう。私は能力のある人間が評価され、そに能力に応じて効率的に仕事をこなして給料が上がるのは当然であるべきだと考えている。日本のような年功序列型の雇用体系では年齢こそすべての基準なためこの出る杭は打たれるという社会構造を作り出している。だから、若くて能力があったとしても金になるどころか消費されて潰される。妬まれ、蔑まれ、調子にのっていると批判され、年上に従うということ、会社に合わせて自分を捨てるということを協調性と叩き込まれ己を失い消えていく。そんな社会なのだから私はもっと能力のある人間が認められやすい社会に変かすべきだと思う。

     さて、この案件どうなるかはわからないが、若者が生きやすいようになるならなんでもいい