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    エリートについてはなしたい

    • 2017.11.20 Monday
    • 01:43

    JUGEMテーマ:教育

     エリートというと少し鼻につく印象を持つ人が多いかと思う。私も若干そのおもいはある。勉強ができただけで偉そうにしやがって的なやつである。だが、勉学をがんばってきた人間が評価されないというのは本当に良いのだろうかと最近思うようになった私である。

     学生という期間では、学力というものが絶対の力である。クラブ活動なども力かもしれないが、所詮その道で飯を食う様な人間は少なく、趣味程度、学生時代のよい思い出程度で終わることが多い。選択も自由なので相対的な評価にしかならないのである。しかし、勉学は違う、基本的にやればやるだけ学力はつく、そういうものである。民主主義国家で学生が最も平等に評価できるもの、それが学力だ。その学力をつけた人間は、つけていない人間から、ガリ勉だとか揶揄されることがある。馬鹿が何言ってやがんだという話だが、持ってないものを持っている人間をひがむのが人間である。無い物ねだりである。

     さて、エリートと呼ばれる人はどんな人だろう。有名大学卒業者か、官僚か、それとも有名企業に就職している人だろうか。さあ、基準が曖昧であるということがわかるだろう。まあ、一般的には東大京大卒、早慶上智卒くらいと言った感じだろうか、あくまでも私のイメージである。学生時代に、学力という絶対評価の中で勝ち残ってきた有名大学卒者がなぜ文句を言われるのだろうか。

     確かに知識だけでは仕事はできないことが多い。理論だけでも難しい。ということはそもそも、勉強をがんばる必要は無いのかという議論になりかねない。答えは微妙なところだ。だが、いくら勉強をがんばっても評価できる体制ができていないのならばそれは教育が破綻しているということである。日本の教育システム自体をかえる必要がある。

     そもそも、現代は有名大学を出ていようが、使えないといわれ、知識があればひがまれ、理論的に話せば屁理屈こくなといわれ、過剰労働を強いられる社会だ。どこの出身とかある意味では関係ないのかもしれない。

     私は、エリートではない、そもそも3流大学を中退しているし、現在は通信制の大学で勉強をしている。だからエリートの気持ちなどわからないが。私は、学生時代勉強をがんばった人はすごいと思っている。特に私が大学に入り直してからはそう思う。

     学歴社会では、最終学歴と卒業校で人間を判断することが多い、そしてどこの大学を出ているか、高卒か大卒かで就職できるスタートラインが違う。そして、それは労働を伴わなくてよかった時期にどれだけ勉強をがんばれたかという証明である。私はもっと高学歴は評価されるべきだし、日本をよい国にしたいなら、エリートたちにがんばってもらうしかないのではないかと考える・・・

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